甲野善紀師範は、武術研究はもとより、その身体の実感をもとにして思索を深めていく思想家の一面もあると思うのですが、そのなかでも
「運命は、完全に決まっていて、同時に完全に自由である」
という言葉は、特に有名かもしれませんね。
で、その甲野先生と夕食をご一緒する機会に恵まれた時、僕は「演技」についてお聞きしたのですが、その時に先生が紹介してくださったのが次のようなお話です。
晩年熊本にいた宮本武蔵が、剣の極意について尋ねられた時、
「幅三尺の板を高さ一尺に置けば誰でも渡れるが、同じ三尺幅の板を城の天守閣から向こうの山まで渡したとしたら、その上を一尺の高さの時と同じように渡れるだろうか」と、尋ねた者に問い直したという。
武蔵に逆に問いかけられた者は「なかなか足が震えて簡単には歩めませぬ」と答えた。
すると武蔵は「幅は同じ三尺である。高さが一尺であろうと数十丈であろうと、三尺であるという事に変わりはない。そこを見切ってどちらも同じように渡れるのが剣の極意と申せよう」と答えたという。
剣の極意と、演技の極意は、究極のところ一致している、そういうことなのでしょうか。
もしこれをご覧になっている演劇人の方がいたら、ちょっとこの逸話に思いを馳せてみてはいかがでしょうか??
【関連する記事】